「思考する言語」 スティーブン・ピンカー
最近は、ブログから遠ざかってしまっており、本当に久々の書き込みだ・・・
英語の勉強も、以前に比べると、とってもゆったりペースだし・・・
今日は、先日本業と絡めてよんだ本の紹介をしたい。
「思考する言語」上・中・下 Steven Pinker著 NHKブックス
著者のスティーブン・ピンカーは、言語学者で認知発達心理学者、進化心理学者のハーバード大教授。とっても才気走った、アメリカの知的ディレッタントの最高峰を行くような人だ。
この本は、彼が一般向けに書き下ろした心理三部作の3つ目であり、私の本業の心理学の視点からも、英語学習者の視点からも、とってもおもしろかった。
ここでは、英語学習者の視点から紹介したい。
彼は、人間のものの捉え方と言語の構造は密接に関連しているが、人間の感覚はアナログなのに対し、言語はデジタルだ、という。例えば、人間は様々な距離を連続的に感知することができるが、言語はせいぜい2段階から3段階だという。英語なら、距離感覚を内包した位置を表す言葉はhereとthereの2種類しかない。日本語だと、ここ、そこ、あそこのせいぜい3種類だ。そしてそのデジタル感覚が、その言葉を用いる状況によって変化する。
このように、思考と言語は全く同じものではないが、言語の中に人間のさまざまな思考が現れており、言語も思考を方向づける、という相互関係にあるというのが、ピンカーの主張だ。
彼の本の中で、英語学習者としておもしろかったのは、可算名詞と不可算名詞、および、可算名詞の複数形と集合名詞の話だ。
ピンカーによると、私たちの物の認識は、基本的に物を物体と認識するか、物質と認識するかに二分される。物体と認識すると、それは、「石」とか「(プラスチック製の)棒」とかとなる。ところが、石が細かくなって「砂利」や「砂」になったり、棒の素材に着目して「プラスチック」と見るときには、物を物質として認識する。これが私たちが持つ実在的認識論、という訳だ。そして、物質として見たときは不可算名詞、物体として見たときには可算名詞となる、というのが基本だ。そして、まだ可算、不可算を区別して英語を話していない2歳児に対する実験でも、彼らが物体と物質を区別して認識しているという実験を紹介している。
さらには、可算か不可算か、という話から、9.11の世界貿易センタービルで2台の飛行機が2つのビルに激突した事件は、ひとかたまりの事件ととらえるか、二つの事件ととらえるか・・・などの話題に展開する。さらにはそれによって保険金が大きく異なるとか・・・
日本語のように、可算・不可算名詞の区別がない言語圏に住んでいると、物質と物体の認識の区別はどうなるのだろうか?英語より遅れるのか? いろいろと知的な疑問がわいて、わくわくした。
そういえば、ムスメが中学で英語を習いだしたとき、非常に初期の段階で可算・不可算の区別を扱っていた。多分イギリスの初心者向け文法書は、そういう順番になっているんだろう、ということも思い出した。
その他にも、実に様々なトピックを扱っていて、彼の好奇心はとどまる所を知らない。様々な動詞の背景にある動作主体の「責任」の問題や、名詞や固有名詞をめぐる問題、その他もろもろ・・・
とにかく、雄弁で、知的好奇心旺盛で、日常の様々な出来事を、ユーモアたっぷりに理論的問題と結びつけている、魅力あふれる本だ。英語学習者に取っては、英語文法や単語の背後にある、私たちの物事の認知の仕方などについて、改めて目から鱗が落ちる議論をしているので、きっと興味深いはず!





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